今置かれている環境に甘んじることなく、自ら新しい環境へ飛び込みチャレンジしていく。その性格をUTA氏はこう分析する。「祖父母をはじめ両親も、みんなそれぞれの分野で型破りなところがあるんですよね。そういう血を受け継いでいるのか、ずっと同じ場所にとどまるのが苦手というか、変化を求めるところがあり、“常に新鮮な自分”であり続けたいと思っているんです」。
確かに、日本にいればまた違った形で早くデビューしていたのかもしれない。ただ、モデルになるまではバスケットボールが全てだったとUTA氏は語る。「バスケは日本のインターナショナルスクールの頃から夢中で、スイスでもやっていたのですが、スイスはバスケの文化が根付いておらず、続けていくのには限界を感じていたときに、ちょうどアメリカの高校のサマーキャンプに参加する機会があり、コーチから“日本でプロ選手か、日本代表も目指せる”と誘われて高校はアメリカの学校へ留学しました」と、運命の糸に導かれるかのように、自らの道を切り開いていった。
「バスケ選手からモデルへの転身は、自分の中ではとても大きな決断でした。芸能の仕事の厳しさは、家族がよく知っています。いい面だけでなく、その世界で生きていく大変さなども含めて、家族はいろいろアドバイスをしてくれました。精神的な面でとても不安でしたが、家族のサポートがあって踏ん切りがつきましたね」と、家族のサポートも大きかったと話す。モデルになってからのUTA氏の活躍は、周知の事実。東京を中心にミラノ、ロンドン、ニューヨークと国境を超え活躍している。